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近鉄藤井寺球場の概要・基本情報・設備を画像つきで紹介

 近鉄バファローズが本拠地にしていた野球場。1928年に開場し、2005年に閉鎖。閉鎖までは甲子園神宮に次ぐ古さで最後まで野球場として使用された。

 近鉄がホームグラウンドとして持ってはいたものの、近隣が住宅地である事から、なかなかナイター設備が整わなかった。それまでは大阪・森ノ宮の日生球場と併用する形で使用され、主にデーゲームの際に使用されていた。

 照明塔が立ってからも灯りが灯されるまでに時間を要し、1984年になってやっと完成した程であった。

 1997年に大阪ドームが完成した事により、一軍の本拠地も移転。それ以降は年に数試合公式戦が行われるのと、二軍の本拠地として使用されるに留まった。

 結果的には、2004年に球界再編が起きた際、近鉄とオリックスが合併した為に、残念ながらこの球場も近鉄球団から処分される格好となった。そもそも近鉄球団の持ち物であったので、もし大阪ドームへ移転していなかったら自分の首を絞めずに済んだかもしれない。

 球場跡地は四天王寺学園に買収され、また外野部分はマンションが立つ予定である。球場正面だった場所にはモニュメントも設置されている。

 城のような正面と、甲子園を模して作られたスタンドは芸術的であった。駅からも程近く住宅地の中にある野球場だったので、試合中もなんともほのぼのとした雰囲気が漂っていた。そんな中、河内弁のキツい野次が飛び交うのが滑稽で、人間味のある野球場でもあった。

球場周辺

近鉄 藤井寺駅。

大阪ミナミの近鉄あべの橋駅からは準急で約20分。
大阪のベッドタウンでもある藤井寺市。

周辺は住宅街ではあるものの、駅前には商店も揃っている。

球場までは駅から線路沿いに徒歩2,3分。
野球観戦にはちょうど良い環境だった。

晩年はウェスタンリーグのみの開催。

 

駅から歩いてくるとまずは看板が出迎えてくれる。

試合の情報はここで確認。

甲子園を意識して造られたというその輪郭。

西洋の古城のような風格ある趣は
今や何処の野球場にも無い。

正面玄関付近は
観戦に来たファンの自転車で溢れていた。

このシチュエーションこそ住宅街の野球場である証。

試合終了後は自転車で帰宅する輩が多い。
地元のファンが多かったのだろう。

老朽化や財政難だけでは片付けられないファンの愛が詰まっている気がした。

 

「藤球を一周する事=住宅街を歩く事」


外周通路など無い。

それは住宅街の路地を歩く事になる。

しかし、この住宅に密着した雰囲気は何だろう。

垣根の間から猫が顔を出してきそうなそんな雰囲気だ。

 

長らくナイター設備が付けられなかった。

周辺住民との対立で、照明塔はあるものの照明が付く日が来るのには長い年月を要した。

また、住宅街の為鳴り物の応援も禁止されていた。

球場を一周するとその理由が分かる。

元々照明設備の無い野球場に後から追加したためスタジアムの外に足場が組まれた。

鉄骨の組み方が何とも言えない味を醸し出している。

昭和の球場の鉄塔だ。

スタンド

球場へ入り、スタンドへと出る瞬間は野球好きなら誰でもワクワクする。

屋根の低さといい、柱の組み方といい、昭和の匂い。

青空の下でプレーする選手は、もうすぐ目の前に現れる。

大阪は大阪でも南大阪。 どちらかというと郊外の雰囲気。

甲子園の華やかさがあるわけでもなく西宮球場の壮大なイメージでもなく 大阪球場の熱狂的な熱さとは少し違うそこは、河内弁の野次が飛び交う人間味溢れる場所。

「今日は野球があるから行ってみよう」的な家族的な雰囲気がある。

 地域密着が謳われる今日この頃のプロ野球で 藤井寺ほど密着していた野球場はなかったかもしれない。惜しい球場を失った。

解体されて4年。藤井寺球場が紙面に現れる時が来た。

外野スタンドが在ったところにはマンションが建設される事となった。

もともと球場へ住民が騒音などで反対しただけあり、付近は閑静な住宅街。
マンションが建つのも妥当な選択であろう。

 紙面にはこうある。

「昭和初期の開場から平成17年の閉鎖まで、数多くのドラマを刻み、20世紀の球史に燦然と名を留める『藤井寺球場』。その跡地内南側、かつて大規模の観衆の中へ幾多のアーチを飲み込んだ外野スタンドのフォルムを偲ばせる」

 ちょうど三棟建つため、右翼、中堅、左翼のそれぞれを髣髴とさせる。

基本情報

 

所在地 大阪府藤井寺市春日丘3-1-1
アクセス 近鉄南大阪線「藤井寺」駅下車 徒歩3分
グラウンド 両翼91m 中堅120m
収容人数 32,000人
開場・閉鎖 1928 - 2005