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広島市民球場の概要・基本情報・設備を画像つきで紹介

 

2008年シーズンまで広島東洋カープが本拠地としていた野球場。

それまでカープは広島総合球場(現・広島総合グラウンド)を本拠地としていたが、ナイター設備もなければ収容人数も確保できないとの事で、新球場の建設が求められた。

そこで広島市が市街地の中心地に1957年に当球場を建設。以後長い間カープの本拠地として使用され続けてきた。

1945年、原爆が投下されたその爆心地に程近い場所、原爆ドームの向かいに建設され、以後約50年間復興の象徴として広島のシンボル的な場所でもあった。

カープ黄金期を支えた球場で、ファンの熱狂的な声援が非常に有名な野球場であった。

1985~87年に内野席を2層にする工事が行われ、1993年にはスコアボードを電光化。時代の波に合わせてきたが、晩年は老朽化とフィールドの狭さが指摘されるようになった。

好立地と歴史を考慮し、同地での改装もしくは建て直しも計画されたが、周辺が市街地であるためこれ以上の拡張は困難と発表。当球場は廃止される事が決定し、広島駅近くのJRの貨物ヤード跡地に新たに球場を建設する事が決定した。

廃止には多くのファンと住民による反対運動が起きたが、広島市の一方的ともいえる決断に伏した格好となった。

セリーグの中ではなかなか観衆も集められない野球場というイメージもあったが、最終年でもあった2008年シーズンは連日多くの観客が駆けつけた。
狭いなりにも選手を近くで見ることのできる野球場でもあり、晩年では昭和の匂いを残す貴重な野球場であった。

跡地の利用方法については未だに協議中で決定には至っていない。

基本情報

所在地 広島県広島市中区基町5-25
アクセス 広島電鉄
「原爆ドーム前」電停 下車 徒歩1分
グラウンド 両翼91.4m 中堅115.8m
収容人数 31,984人
開場・閉鎖 1957 - 2010

 

アクセス

市民球場がある広島市は中国地方一の中心都市で、周知の通り第二次世界大戦で世界で初めて原爆が投下された街である。その後、平和記念都市として、国内だけではなく世界的にも有名だ。

広島市民球場はこの爆心地から程近い位置に建設された。目の前に世界遺産の原爆ドームがあり、川を挟んで平和記念公園が広がる。広島で「平和」の二文字を抜いては何も語れない。あの原爆が投下された8月6日は、ここ市民球場でも試合が行われないのだ。

この位置関係から、市民は市民球場を復興の象徴と呼んだ。戦後広島が再生したのも、市民球場とカープをなしでは語れないであろう。

電車・バス

 球場が市内中心部に存在したため、新幹線の停車する広島駅からもアクセスは便利であった。

また、球場のすぐ隣がバスセンターであった事もあり、県内各所はもとより、広島空港からのリムジンバスも到着するので、県外からのアクセスも非常に優れていた。

広島駅からは広電の路面電車で一本。広島駅から約15分で最寄の原爆ドーム前電停に到着する(\150)。
その広島駅から2・6系統が原爆ドーム前を通る。また、JR横川駅前からも7系統が、広島の海の玄関・広島港(宇品港)からは3系統がそれぞれ通っているので各方面から行きやすい場所だった。

原爆ドーム前電停は球場のすぐ目の前にあるため、電車を降りたら目の前に入場ゲートがある雰囲気。

また広島の繁華街・紙屋町にも程近い事から、試合前後の買い物や飲食などもできた。試合後はちょっと一杯程度の飲みに行けたのを重宝していたファンも多かっただろう。

規模的にも、球場を取り囲んで紙屋町一帯を一大娯楽スポットのような捉え方もできる感さえあった。

また、オフィス街の多い市役所付近からもわずかな距離であったため、仕事帰りにナイターを見ていくということが可能であったのも行きやすい要素であった。

新球場に比べ、こうした生活の一部に密着していた感がこの球場の良さでもあったと痛感する。 

ギャラリー

ゲートごとに並ぶスタイルで、外野席のゲートも複数用意されていた。
人気のある外野自由席は前日から順番場所取りができ、A4サイズのクリアファイルに「○月○日、△△戦2名」と記載した紙を入れておき、それを置いて帰る。

この球場ではガムテープを使用してはいけない決まりで、クリアファイルが飛ばぬよう何か錘を置いておくしか方法が無かった。

隣接する公園の植え込みの中にある石を錘にしたり、使用済みペットボトルの中に砂を入れて錘にしたり、常連の人間は知恵を絞って毎試合場所取りをしていた。

一番人気はやはりライトスタンドの5番ゲートで、隣のグリーンアリーナの方まで列が連なる日もよくあった。

2008年のシーズンを持ってカープは51年間に渡り使用され続けてきた本拠地としての使用を終了した。ラストゲームはクライマックスシリーズ進出もかけていたことも相まって超満員に膨れ上がった。

ただ、広島駅ヤード跡地の新球場が翌年のオープン戦には間に合わないとの事で、実質2009年に4試合だけオープン戦が行われている。本当の意味でのラストゲームは2009年の3月である。

球場の跡地利用も決めないまま新球場への移転ともなった為、新球場完成後も、夏の高校野球の予選で使用される格好となった。

広島市が購入してしまったのヤード跡地を、球場建設する事で早いこと処理してしまった感があり、この球場の寿命を縮めてしまった事は否めないであろう。
そもそも、2004年に球界再編問題が騒がれた際、カープもどこかのチームと合併という話が出たため、急いで新球場の建設を決定したということも少なくともあったらしい。

実際のところ、ファンの意見や市民の意見は全くといって良いほど無視された格好となり、数々のドラマを残したプロ野球界からも、復興の象徴とも言われた市民からも、貴重な野球場が奪われてしまったのは紛れもない事実である。


街中にあるのが一番の特徴。昭和の雰囲気と醍醐味を最後まで残した野球場だった。

最後の年となった2009年には、正面に「夢と感動をありがとう」のボードが掲げられた。

正面から右手へ行くと、広島バスセンターとの間の暗い道があった。

ゲートは狭いトンネルのようで、潜り抜けた先に見えるフィールドはどこの球場よりも身近だった。

内野スタンド

 

外野と同様、フィールドが非常に近いのでどの座席でも見やすく、選手も身近に感じられる雰囲気であった。

フィールドは内野が土で外野が天然芝。シーズン中でもあまり管理が行き届いていないのか、外野手の定位置辺りは芝生がはげている光景をよく目にした。

内野席はバックネット裏から一・三塁側にかけて指定席で、座席は全てセパレートタイプ。最も外野寄りの一区画だけが自由席で、長椅子ロングシートだ。


昭和時代の設計そのままのため、現代人には座席間隔が非常に狭く感じられる。


平日のナイターともなると外野は満員でも内野はガラガラという状態が多かった。


選手応援セットなどと謳ってTシャツと指定席をセットにしたり、ビール飲み放題のセットなどを販売して球団はガラガラの内野席を埋めるのに必死であった。


ただ、内野席まで全て埋まるのはごく稀で、むしろこのガラガラの雰囲気が市民球場のいい味を出していたような感さえある。

 


二階席はあとから追加されたため、特殊な構造。一階席の最上段まで昇った後にそこから二階席への階段が繋がっている。

視点もかなり高く、どちらかと言うとかなり見下ろすような雰囲気であった。さすがに後から追加されただけあり、お世辞にも見やすい席ではなかった。

外野スタンド

 

 


外野スタンドは長椅子ロングシートの自由席で、一部セパレートタイプの指定席があった。毎試合、右翼側自由席から順に埋まっていき、熱のある応援が繰り広げられた。


ライトスタンドはもちろん、レフトスタンドにも応援団がおり、ライトへ入れなかったカープファンはレフト側に回っていく。

ビジターのファンはどこの球団も然程入らず、読売戦や阪神戦以外は肩身の狭い思いで観戦している。


傾斜も緩やかで非常に見やすく、球場の広さとも関係してか、外野席でも選手を間近に感じられる数少ない野球場だった。


夏場は瀬戸内地方独特の長い凪の影響で、しばらく無風状態が続く。これも市民球場の風物詩で、暑い中汗を流しながらかき氷を食べる光景を良く見たものだ。

外野席は大体の場所でスコアボードが確認できたので、観戦環境としては申し分なかった。

ライトスタンドのファンでも良く見えるように、三塁側内野席の上にカウント表示機が設置されており特徴的だった。


また、外野スタンドのトイレにはそれぞれ別のゲートになっており男子用が水色に、女子用がピンク色に着色されていて分かりやすい表示だ。


最上段の看板の裏が通路になっていて、喫煙スペースでもあった。昭和の球場に多いこの看板は、気をつけていないと歩行中頭をぶつけ兼ねない。


前後間隔の狭い座席や、シートの下に荷物が置けない状況などの不便な点も、昭和テイストたっぷりだった。通路へ出るために同じ列の人に断って人をかき分けたり、観戦中、前の座席の人に膝が当たったりしたのも懐かしい。

レフトスタンド後方の看板は可動式で、市民球場独特の西日を遮るためのもの。一塁側ベンチが西日を正面に受けるための措置であった。


1993年にスコアボードが電光式に代えられた。

真っ赤に染まったスタンドが独特な雰囲気を醸し出していた。


外野スタンドはロングシートで、前後間隔も大変狭かったが、そこがまた味があって良かった。

売店はセンターにコンコースがあり、そこにて販売していた。デーゲームでもなんだか薄暗い雰囲気のコンコースで、イニングの合間には常にごった返していた。


名物はカープうどんで、他の売店の売れ行きが悪くてもそこだけは行列であった。市内の製麺会社が出店しており、年間10万6000食を売り上げた定番グルメ。出汁がきいていて、400円(08年だけ450円)であの味は安すぎた。


どこにも商品名に"カープ"の文字は無かったが、ファンは愛着をこめて"カープうどん"と呼んでいた。


食券方式なのだが、天ぷら・肉・きつねで食券の色が違う。回転が非常に速いので並んでいてもすぐ手元にくる。

最終年は、最後に一回食べておこうとファンが行列をなし、なんと外野スタンドの通路にまで列ができ、結局試合終了時まで列が途切れる事はなかった。他にあまりメニューが無かったこともあるが、これだけの定番メニューは全国の球場を見ても珍しい。


尚、新球場でもカープうどんを発売する事が決定した。しかし、それは全くの別物で、球場へ入店している会社は先述の製麺会社ではなく東京の会社。球団と広島市は、市内の会社を抑制し、他所の企業を歓迎したのである。

新球場でも列をつくってはいるものの、味は本家カープうどんには勝らないことだけはここで述べておこう。

スコアボード

 

 

スコアボードは二代目のもので、1993年に換えられた電光式のもの。それまではパネル式のスコアボードを使用していた。

攻撃中のチームは赤色に表示され、塁上に出ている選手名は緑色で表示される。(この表示方式は新球場のスコアボードにも引き継がれた)

このスコアボードも晩年は表示が点いたり点かなかったりと、故障すれすれのところで試合をしていたようだ。

最後の最後まで応援の醍醐味を味わえる、一体感のある野球場であった。周りの野球場が人工芝の球場に変わっていっても、ドーム球場が増えていっても、最後までスタイルは変わらなかった。

新球場が、全くといってよいほどこの球場の特徴を引き継いでいないのが残念だが、カープファンにはいつまでもこの球場の記憶が根付いている。

 

食事

カープうどん

どこにも「カープうどん」とは表記はないのだが、通にはこのように呼ばれる。出汁が良く効いており、400円でこの美味しさを味わえるのが素晴らしい。写真は天ぷらうどんで他にきつねと肉もある。

カレーライス

ライスを型にはめて定量支給される。甘口でまろやかな味わい。福神漬けはカウンターにあるので取り放題。この福神漬けで皿を一杯にするのが通。一杯500円。

つけ麺

600円と多少値は張るものの、麺といい汁といいなかなか美味しい。チャーシューもついてくる。辛味のタレが別個になっており、自分で量を調節可能。少々でも辛いので注意。

ぶっかき氷

袋の中にかき氷がパックされたもので、ストローで突きながら食べる不思議な食べ物。シロップが完全に行き渡っており、夏の風物詩だ。パッケージのカープ坊やのユニフォームが旧型のままなのが気になる。\200。

瀬戸内はっさく

球場内で販売している瀬戸内地方限定チューハイ。他にレモンもあり、どちらもさっぱりしていて爽やか。売り子が「カンペア」として売りに来る。\300。