近代オリンピックの歴史(夏季のみ)を纏めてみました。
基本的にスポーツとか、やるのも見るのもほとんど興味が無いのですが、ある日、ネット上を徘徊していると、「日本がモスクワオリンピックをボイコットしたことで男子体操団体のローマオリンピックから続けた五連覇が途絶えた」の一文が!
なぬ!日本がそんな過激なことを!?
みんなやってるのか!?(日本人の習性からいくと「みんながやってるから」だろうからね)
…
で、オリンピックについて調べてみたくなったんです。なので、「近代オリンピック史」というかは、「オリンピックボイコット史」みたいな感じで調べてみました。
まぁ、調べてみれば、みんなそんなにそんなにボイコットしてなかったですけどね。残念だな。(って、おい!)
第1回 アテネ(ギリシャ) 1896年
参加国数:14
参加選手数:245
競技数・種目数:8競技43種目
不参加の国
-
特記事項
古代オリンピックに感銘したピエール・ド・クーベルタン男爵により提唱。
大会参加者は男子のみ。
財政事情により、優勝者には銀メダル、準優勝者には銅メダルが贈られた。
記録(100m)…12秒00
第2回 パリ(フランス) 1900年
参加国数:13
参加選手数:1225
競技数・種目数:87種目
不参加の国
-
特記事項
万国博覧会の附属大会として行われたため、会期が5ヶ月に及んだ。
メダルが選手に届いたのは2年後。
射撃では鳩を的にして鳩を撃つ競技が行われたが、残虐的だと非難され、以後の大会では禁止された。
第3回 セントルイス(アメリカ) 1904年
参加国数:13
参加選手数:689
競技数・種目数:16競技89種目
不参加の国
-
特記事項
万国博覧会を兼ねて開催された。
ヨーロッパ勢は参加国が非常に少なかった。
第4回 ロンドン(イギリス) 1908年
参加国数:22
参加選手数:2035
競技数・種目数:23競技107種目
不参加の国
-
特記事項
ローマで開催される予定だったが、ベスビオ山が噴火して被害が出たため、急遽ロンドンでの開催となった。
この大会からオリンピックの参加が各国のオリンピック委員会を通じて行われるようになった。
マラソンは、時の王妃アレキサンドラが「国王の住むウインザー宮殿の庭からシェファードブッシュ競技場のボックス席の前」と注文したために42.195kmという半端な数字になったとされる。
ペンシルバニア大司教のエチュルバート・タルボットが、「オリンピックにおいて重要なのは勝利することよりむしろ参加したことであろう」との名言を残す。
初めて国旗を先頭にした入場行進が行なわれた。
第5回 ストックホルム(スウェーデン) 1912年
参加国数:28
参加選手数:2437
競技数・種目数:15競技102種目
不参加の国
-
特記事項
日本がオリンピックに初参加した。
男子マラソンにおいて金栗四三が、54年8ヶ月6日5時間32分20秒3で世界一遅いマラソン記録を残している。
第6回 ベルリン(ドイツ) 1916年
参加国数:-
参加選手数:-
競技数・種目数:-
不参加の国
-
特記事項
第一次世界大戦の為、開催中止。
第7回 アントワープ(ベルギー) 1920年
参加国数:29
参加選手数:2607
競技数・種目数:23競技152種目
不参加の国
-
特記事項
初めて選手宣誓が行われた。
日本勢が初めてメダルを獲得した。
第8回 パリ(フランス) 1924年
参加国数:44
参加選手数:2972
競技数・種目数:19競技126種目
不参加の国
-
特記事項
-
第9回 アムステルダム(オランダ) 1928年
参加国数:46
参加選手数:2694
競技数・種目数:16競技119種目
不参加の国
-
特記事項
クーベルタンらの反対で見送られてきた女性の陸上競技への参加が初めて認められた。
日本初の女子メダリストが生まれた。
第10回 ロサンゼルス(アメリカ) 1932年
参加国数:37
参加選手数:1328
競技数・種目数:16競技128種目
不参加の国
-
特記事項
初めて選手村が建設された。
陸上競技で初めて写真判定装置が用いられた。
第11回 ベルリン(ドイツ) 1936年
参加国数:50
参加選手数:4066
競技数・種目数:21競技129種目
不参加の国
-
特記事項
アドルフ・ヒトラーは、大会期間に限りユダヤ人に対する迫害政策を緩め、有色人種に対する差別発言を抑えるなど、国策を変更してまで大会を成功に導こうとした。
古代オリンピックの発祥地であるオリンピアで五輪の火を採火し、たいまつで開会式のメインスタジアムまで運ぶ「聖火リレー」が初めて実施された。
当時まだ多くの国で開発段階だったテレビによる中継が試験的に行われた。
マラソンで当時日本の植民地下にあった朝鮮人が日本人として参加してメダルを獲得した。
第12回 東京(日本)→ヘルシンキ(フィンランド) 1940年
参加国数:-
参加選手数:-
競技数・種目数:-
不参加の国
-
特記事項
日中戦争の影響により日本が開催権を返上し、代わってヘルシンキでの開催が決定したが、第二次世界大戦が勃発したため結局開催できなかった。
第13回 ロンドン(イギリス) 1944年
参加国数:-
参加選手数:-
競技数・種目数:-
不参加の国
-
特記事項
第二次世界大戦によって中止された。
第14回 ロンドン(イギリス) 1948年
参加国数:59
参加選手数:4064
競技数・種目数:19競技151種目
不参加の国
-
特記事項
敗戦国であるドイツや日本の参加は認められなかった。
第15回 ヘルシンキ(フィンランド) 1952年
参加国数:69
参加選手数:5429
競技数・種目数:18競技149種目
不参加の国
-
特記事項
日本が第二次世界大戦後としては初の夏季オリンピックの参加。
ソ連が大会初参加。
第16回 メルボルン(オーストラリア) 1956年
参加国数:67
参加選手数:3178
競技数・種目数:17競技145種目
不参加の国
イギリスとフランスが関与したスエズ動乱に抗議しエジプト・レバノン・イラクがボイコット。
ソ連によるハンガリー侵攻に抗議しスペイン・オランダ・スイスがボイコット。
中華民国の参加に抗議し、中国がボイコット。
特記事項
夏季オリンピック史上初めて、南半球で行われた。
西ドイツが東ドイツとの連合チームでの参加。
第17回 ローマ(イタリア) 1960年
参加国数:83
参加選手数:5348
競技数・種目数:18競技150種目
不参加の国
-
特記事項
ソ連が初めてアメリカを抜いて金メダル獲得数で首位に立った。
男子体操団体で日本が優勝。
第18回 東京(日本” 1964
参加国数:93
参加選手数:5133
競技数・種目数:20競技163種目
不参加の国
-
特記事項
アジア初のオリンピック。
開会式のあった10月10日は、1966年から「体育の日」とされた。(現在は10月の第2月曜日)
男子体操団体で日本が連覇。
第19回 メキシコシティ(メキシコ) 1968年
参加国数:112
参加選手数:5498
競技数・種目数:18競技172種目
不参加の国
アパルトヘイト政策をおこなっていた南アフリカの参加が認められると、アフリカ諸国26ヶ国が出場ボイコットを発表。
これにソ連や共産圏諸国も同調し、合計で55ヶ国がボイコットを表明した。
これではさすがにまずいということで、IOCは南アフリカの参加を認めないこととし、ボイコットは回避された。
特記事項
聖火リレーは史上初の女性最終ランナーだった。
東ドイツと西ドイツが初めて統一チームを組まずに参加。
三段跳びで、三人の選手が世界記録を五度塗り替えた。
ドーピング検査採用後、違反者第1号が出た。
男子体操団体で日本が三連覇。
第20回 ミュンヘン(西ドイツ) 1972年
参加国数:121
参加選手数:7121
競技数・種目数:21競技195種目
不参加の国
ニュージーランドのラグビーチームがアパルトヘイトを続けていた南アフリカへ遠征したことを巡り、IOCがニュージーランドの参加を禁止しなかったことを受けて、タンザニアが主導してアフリカの22ヶ国がオリンピックをボイコットした。
特記事項
オリンピック開催中にパレスチナゲリラが選手村のイスラエル選手宿舎を襲撃し、イスラエル代表チームに11名の死者を出した。
日本男子バレーボールが、準決勝の対ブルガリア戦でセットカウント0-2からの奇跡の大逆転劇を演じながらみごとに金メダルを獲得。
日本男子体操が強さを誇り8種目24個のメダルのうち、16個を独占、団体でも四連覇を果す。
個人総合と鉄棒でもメダルを独占した。
「月面宙返り(ムーンサルト)」が初披露された。
第21回 モントリオール(カナダ) 1976年
参加国数:92
参加選手数:6028
競技数・種目数:21競技195種目
不参加の国
-
特記事項
体操に出場したルーマニアのナディア・コマネチは史上初となる10点満点を連発した。
開催国カナダは金メダル0に終わった。開催国が金メダルを1個も獲得できなかったのは、夏季オリンピックでは、この大会だけである。
カナダではオリンピックの開催で膨大な赤字をだしたため、モントリオール市ではその後何十年ものあいだ、返済のために税金が使われることとなった。
男子体操団体で日本が五連覇。
第22回 モスクワ(ソビエト連邦) 1980年
参加国数:81
参加選手数:5217
競技数・種目数:21競技203種目
不参加の国
ソ連のアフガン侵攻を理由にアメリカ・日本・西ドイツ・韓国・中国を含む50ヶ国近くがボイコットを決めた。
特記事項
西側諸国の多くがボイコットした事で、大会は東側諸国のメダルラッシュとなった。
特にソビエトは自国開催の強みを最大限に発揮し、元来の得意種目の重量挙げや射撃系に加え、アメリカが不参加の競泳や陸上、日本が不参加の男子体操やバレーボールで順調に金メダルを獲得した。
イギリス・フランス・イタリア・オーストラリア・オランダ・ベルギー・ポルトガル・スペインなどは参加したが、イギリスではボイコットを指示した政府の後援を得られず、オリンピック委員会が独力で選手を派遣した。そのため、優勝時には国旗の掲揚と国歌の演奏が行われず、五輪旗と五輪賛歌が使用された。
開会式では、フランス、イタリア、オランダなど七ヶ国は入場行進に参加せず、イギリス、ポルトガルなど三ヶ国は旗手1人だけの入場行進となった。
自国開催のソビエトの選手には金メダル獲得が義務付けられ、他の東側諸国でも似たような状況となった。その結果、組織的なドーピングが行われ、後に多くの選手が健康被害を受ける事になった。
ボイコットの為、日本の男子体操団体はローマオリンピックから続けた五連覇が途絶えた。
第23回 ロサンゼルス(アメリカ合衆国) 1984年
参加国数:140
参加選手数:6797
競技数・種目数:21競技221種目
不参加の国
モスクワ五輪にアメリカ等が参加しなかったので、その報復としてソ連や東欧諸国が報復ボイコットをした。モスクワ五輪にアメリカ等が参加しなかったので、その報復としてソ連や東欧諸国が報復ボイコットをした。(表向きの理由はアメリカ軍によるグレナダ侵攻に対する抗議)
特記事項
この大会は1セントも税金を使わずに行われた。それまでの大会は、スタジアムの建設や環境整備などで開催都市が多額の費用を負担し赤字続きで大きなダメージを残したこともあり、ロサンゼルスでは、テレビ放映料・スポンサー協賛金・入場料収入・記念グッズの売上などで大会開催を賄った。
第24回 ソウル(韓国) 1988年
参加国数:159
参加選手数:8465
競技数・種目数:23競技237種目
不参加の国
-
特記事項
東京オリンピックに続きアジア地域における二度目の夏季オリンピック
このとき名古屋も開催地に立候補していたが、IOC総会での投票でソウルが当初有利とされていた名古屋を下し、開催都市に選出された。
第25回 バルセロナ(スペイン) 1992年
参加国数:169
参加選手数:9367
競技数・種目数:25競技257種目
不参加の国
-
特記事項
-
第26回 アトランタ(アメリカ合衆国) 1996年
参加国数:197
参加選手数:10320
競技数・種目数:26競技271種目
不参加の国
-
特記事項
大会七日目にオリンピック公園で爆破事件が発生し、1名が死亡、111名の負傷が出るミュンヘンオリンピック事件以来の大惨事となった。
第27回 シドニー(オーストラリア) 2000年
参加国数:199
参加選手数:10651
競技数・種目数:28競技300種目
不参加の国
-
特記事項
韓国と北朝鮮が合同で入場行進した。
マラソンでは、高橋尚子が日本の女子陸上競技として初の金メダルを獲得。
第28回 アテネ(ギリシャ) 2004年
参加国数:202
参加選手数:11099
競技数・種目数:28競技301種目
不参加の国
-
特記事項
ドーピングによる失格選手数が24人を数えた。
男子体操団体で日本が24年ぶりに金メダルに返り咲いた。
第29回 北京(中国) 2008年
参加国数:204
参加選手数:11193
競技数・種目数:28競技302種目
不参加の国
中国で、チベットやダフールでの紛争に関する問題が起きたため、下記のような動きがあった。
2005年:アメリカ下院議会にて、中国政府が表現・信仰・結社の自由等を認めないといった人権侵害をやめなければ、北京五輪の中止と開催地変更をIOCに求めるとする決議案が提出された。
2007年:アメリカ下院議会にて、上記の理由でボイコットすべきという決議案が提出された。また、下院議員108名が、虐殺を続けるスーダン政府への支援停止を求める書簡を胡錦濤国家主席宛に送付し、「対応が不十分であればボイコットする」と警告した。フランス大統領選のテレビ討論で、オリンピックのボイコットを呼びかけた候補がいた。 映画監督のスティーヴン・スピルバーグが、オリンピック芸術顧問を辞退した。俳優リチャード・ギアが、新作映画の記者会見でボイコットを訴えた。
2008年:中国の武力で鎮圧を、チベット人僧侶が外国メディアに対して泣きながら訴えた為、世界中で中国への抗議デモや聖火リレー妨害活動が頻発した。
が、結局ボイコットした国はなかった。
特記事項
アジアで夏季オリンピックが開催されたのは、ソウルオリンピック以来20年ぶり。
共産圏での開催は、モスクワ大会以来28年ぶり。
メダル獲得順は、中国・アメリカ・ロシア・イギリス・ドイツ。